16歳でLD診断された娘との日々

息子はADHD。娘16歳にて、突然家族に読み書き計算が苦手な事を告白。全日制高校から通信制高校へ編入するも、今後の進路に母は心配でならず。
母親の日頃思うことや、娘について綴りたいと思います。

今に至るまで 5

ただ不安な毎日を過ごす日々。


とりあえず娘が学校に慣れるまで、仕事を変えるのは後にしようと考えていました。


娘には、病院で進められた

動体視力トレーニングのDVDを買い毎日させてました。


黒板全体が見えない

新聞広告のサイズも全体が見れない

テレビの字幕が追いつかない

目の前にあるのに見つけられない

字幕見てるとバックに流れてる音声が聞こえない

人の言葉が、言葉自体何を言ってるのかわからない

みんなが綺麗だ可愛いねというから、綺麗なんだ可愛いんだ。私には何も感じない。みんなに合わせてただけ。

自分がどう動いたらいいのかわからない。


などなど…


次から次へと出来ない事をカミングアウトする娘に


なんで私は気がつかなかったのか…


16年一緒にいて、私は娘の何を見ていたのだろう…


おとなしいけど優しくて、おっとりしてるけど娘がいたから留守番させても安心だった。


家では笑って

一緒に服買いに行って、靴や服を交換しあったり、料理作ったり。


数学や、英語、国語の成績がよくて、高校も自分から国際コースに行きたいと自力で偏差値50ちょいの高校に合格して…


この子は大丈夫

やりたい事を伸ばせばいいと

勉強頑張れってはげまして…



実は一番苦手な英語だった

bとd、pとqが反転

ヒアリングが大嫌いだった

行の読み飛ばし

数学も一桁の計算さえ指を使っていた

誰にもわからないよう器用に…


なんで勉強できたかって?


どの科目もパターンがあるから。

パターンを見つける事が大変だった。


一緒に買いに行った服も私には何がいいのかわからなかった


お母さんに合わせてただけ


映画も頭が疲れて本当は行きたくなかった


もう全てが疲れたんだよ

お母さん…


って。


ただ、今の学校は先生も私の出来ない事知っててくれる


いじめにあったり、不登校だったり、発達障害だったり。何かしら皆んな抱えて学校に来てる。


自分を隠さなくてよくなったから、本当にこの学校でよかったよと。


頑固な酷いニキビも軽くなった

ストレスからくる急な腹痛嘔吐も減った

生理も随分規則正しくなってきた


2月はこうやって娘の話を何時間も聞いて、私はゴメンねと何度も謝って、謝ってもどうにもならないけど抱きしめて…


そして、ネットで見つけたLD用のルーペを買ってあげたら


今までの誕生日プレゼントより、クリスマスプレゼントより、何より一番嬉しいプレゼントだよお母さん‼︎

超感動‼︎

世の中にこんないいものあったんだね!

これで横読みが楽になった

読めるんだよ本が‼︎

もっと早くにお母さんに相談すればよかったと。


相談しにくくしてたのは、お母さんなのにね…


今私も頼る人、誰1人もいない

今も昔も、息子が支援学級だからと偏見差別ばっかりだった


通級クラスの親には、同じクラスだとウチの子の勉強が遅れるから支援学校に行けと言われ、市役所の学校教育課に行けば、死ぬ病気じゃないから大丈夫だと言われ、父親は見て見ぬふり。


支えてくれる人?

世の中にいますか?

所詮他人事なんだから

神仏?いませんよ、そんなもの

いると思ってる人は、まだまだ大丈夫


私が子供を守るしかない


確かに、難病で残り少ない命の子も沢山いる


他所は他所

うちはうち


私の兄も小学1年で電車に轢かれて亡くなった


残された家族の辛さは、幼いながらにも記憶にある


私も子供らも、なんで世の中にいるのかわからない



3月は、一応進学希望と言う娘と専門学校のオープンキャンパスに出掛けます


息子は相変わらずウダウダの毎日

バスケだけが心のよりどころです